HSPだけどラジオで歌を収録してる理由
先週からラジオで
アレンジなしの歌を歌い流してます。
繊細なんだけれども、熱い想いを
文章にするよりも声の方が届きやすい。
そんな風に感じた物は音にしてます。
小さい頃から、いろんな理由で
自分の感情を気持ちを
押し殺してきて
なんとか生きる縁(よすが)は、
歌と読書だったなと話してみて思ったのです。
https://stand.fm/episodes/661367712f68710e1660e6b8
私の心をわしづかみにした歌詞 『民衆の歌』 熱情と勇気
ミュージカル
『レ・ミゼラブル』で歌われる
『民衆の歌』
今YouTubeなどで聞かれるのは、
私が聞いた歌詞ではないのですね。
私が聞いたのは1987年帝劇で行われた
初演版。
どんなシーンで流れるかというと、
時はフランス6月暴動という
実在の事件が背景となっている。
虐げられてきた民衆が立ち上がる。
原作はビクトル・ユゴーの小説
「ああ無情」
今歌われている歌詞は、
岩谷時子さん訳なのですが、
戦う者の歌がきこえるか
なんですけれども、文字に起こすなら
「闘う」を魂の戦を表現する感じで、
こっち(上記)だなと思ったのでした。
歌詞に込められた本意が
薄まっちゃったような気がしてるんですよね。
レ・ミゼも舞台で何回か見たし、
画像やTVでも耳にすることがあるけれど、
初演で聞いたときの感動は、
ないんだよね。
だから、
言葉に込められた想いとか
特に日本語の文字に託すものとか
潜められたものというのは、
言語的に深いなあって改めて感じた。
こういうのも、分析と言うよりは
知恵になるんじゃないかと最近は
きすものがある。
(自分の感受性とか、
いいもの本物を知っているとか
絶妙のタイミングだったとか
誇りに思える)
それで、引用したものをみていただけると、
最後だけ「きこえるか」が
「聴こえるか」になっていて、
こんなところも、訳詞のセンスと思うのですよね。
耳で聞いていると、発音は一緒で
区別もつかないかもしれないけれど、
目で見たときの印象は全然違いませんか?
日本語の奥深いところねと思います。
よかったら一緒に味わってみてくださいね。
なんで、この曲を思い出したかというと、
明日の新月と皆既日食の話を
マドモアゼル愛先生がされていて、
デクラス(情報開示)の話で民衆の歌を
胸をはって凜と
歌いたいなと思ったのと歌詞を
改めて味わいたいと思ったのでした。
民衆の歌 初演版歌詞
怒れる者の歌が聞こえるか?
鼓動があのドラムとこだますとき
新たに熱い 生命(いのち)がはじまる
明日がきたとき そうさ明日が!
俺の世界が いつか見える筈
砦の向こうに それがあるの?
戦え それは自由への道
怒れる者の歌が聞こえるか?
鼓動があのドラムとこだますとき
新たに熱い 生命がはじまる
明日がきたとき そうさ明日が!
賭けてみよう 俺達の未来を
倒れし者の したたる血潮が
祖国の大地潤すだろう
怒れる者の歌が聞こえるか?
鼓動があのドラムとこだますとき
新たに熱い 生命がはじまる
明日がきたときそうさ明日が!
怒れる者の歌が聴こえるか?
鼓動があのドラムとこだますとき
新たに熱い 生命がはじまる
明日がきたとき そうさ明日が!
自己表現 自己変革 本来の自分らしく生きるふるまう
この1~2週間で実家の父のことを思い切るようで、
なんとなくスッキリしないものもあったのですけれど、
もう自分の使命を果たす
魂の約束を
なぜ地球にこの時代に
あの親を選び生まれたのか。
そのことを想い出し
くびきを切り魂の檻から出ようと
覚悟を決めたのでした。
片付けをしていたら、
母方の祖父の誕生日に
父方祖父が天に還り、
母方祖母の誕生日に、
父方祖母が天に還りました。
祖母はわかっていたのだけれど、
祖父までそうだったのかというのを
今日目にして、魂の約束
血の約束を改めて感じて
「もう待ったなし」となった。
だから、この歌詞と記事になったと。
自分のブログで検閲もないから、
堂々と書けるのですよね。
読んでくれてありがとう。
生きてくれてありがとう。