さる2日のことである。
大笑いした。
あまりにも、滑稽(こっけい)と
思えたからだけれど、
笑っていて本当にスッキリしたことがあった。
これは、
ストレス解消レベルではなくて、
長年の「しこり」というよりは、
魂の「くびき」というか
そういうものだったように思うことである。
くびきのイメージは
両手足首に重しのついた鎖って感じ。
父(男性性)は社会性や仕事お金に影響する
詳細は語らねど、
わが家は
小5で頭の開頭手術をして生き延びた父が
高次脳機能障害で(今の診断なら)
アルコール依存症で重度の家庭機能不全だった家。
母も感情的で
私は気配を消して生き延びてきた。
いろんなところで、
潜在意識的にもブロックといわれる。
お金や仕事などについて最終的に、
父親のことがいわれる。
社会で男性性は獲得できるというけれど、
申し訳ないけれど、私にそれを教えてくれたのは、
大きな父性を与えてくれたのは1人だった。
一人いたのならいいではないかというかもしれないが、
命を長らえるために、
私が生きている支えになる力をくださった。
そこまでで止まっているのだ。
(その私の魂が仕事やお金のブロックが外れて、
生きるだけの力にはなり得なかったという)
そもそも、それだけの力を持った男性が
「あまり世の中にいない」という残念さよ。
祖父や曾祖父の時代から仕方ないか。
だから、こうやって書いていても、
攻めているわけではないのだ。
その時その時、
生きるだけで精一杯だった…。
(明治、大正、昭和初期)
そりゃあ、父だって
戦後幼少期を生きたけど、
80代半ばで私立の小中行って大学卒業してって、
けっこう「ぼっちゃん」と思うじゃない。
頭のケガして生死をさまよったから、
甘やかされて育ったと私は思ってる。
(兄弟も母も思ってる)
でもね、父はそう思ってない。
あと、感謝力も足りない。
自分は一生懸命やってるし、
何でもできると思って威張ってる。
娘の私が家族のひいき目で見ても
客観的に見ても、正直母がいなければ
わが家はもっと早くに崩壊してた。
&
父の父母 兄弟
母の父母 兄弟
近所の方 母の友人
そういう人の助けがなければとてもとても…。
でも、自分の力だけでやってきたという。
口では
「感謝している」というけれど、
正直、
HSP(繊細)の私の能力を持ってしても、
父の感謝は微塵も感じられない。
これってどれだけ、心がこもってないか
想像つきます?(^^;)
行動と口が一致しない。
本当に典型というか。
それでもですね、
親だからとか思っていたわけです。
本音を話していたり、
思いやったりすれば
いつか家族らしくなる日もあるかもしれない。
なぁんて、思っていたけれど。
家族であっても、適切な距離は必要 自分を守る大切さを痛感
人はいうのだ。
きれいごとを。
でも、最終的に決めるのは自分だ。
私はこの8年間、娘として家族の一員として、
最善を尽くしてきたと言える所までやりきった。
昨日、母が外出しているときにたまたま実家に行った。
前回母が入院したときも感じたけれど、
自分一人だけの時の父は、
元気な顔で、杖も使わず、
自分の思うとおりに動き回って悠々自適なのだ。
母がいるときは、
ベッドに寝て押し黙っている。
ただ、答えたりするのがめんどくさい。
そうしていると、母が気遣ってくれるし
うるさいことはいわれないし、
娘の私も気遣ったりするしかまってもらえるというのがある。
父の介護認定の準備したり、
したけれども結局見守っていると、
父はサービスを受けてる時だけしかやらないし、
こちらが思いやっても自分の好きなとおりにしかやらない。
母や私を思いやるなんてことはなく、
好き勝手にやっている。
(あなたはどうしたいのか?と問うたとき、
「あんた達に自分の気持ちを言ったら、
自分のやりたいことはできないから、一人でやってきたんだ!」と
言い切った。
これからも、そうするんだ!」と激高した)
その時に、見切りをつければよかったなと思う。
今回は3度目の正直で、
「コソコソしてんな」って感じたの。
私に見つかって
(耳が悪いから気がつかなかったみたい)
ものすごいバツの悪そうな顔をしてたんだけど。
正直、
「ちっちゃいわ」
「小ずるい人だわっ」
て思ってたところがあって、
でも親だしねって思ってたの。
だけど、もう そんな父に
振り回されるとか心を尽くすのは自分がすり減っちゃうから。
そんな自分を笑える。
嘲笑えはなくて、よくやったよねって、
もう十分だよって笑い飛ばせてさ。
そしたらスッと軽くなったんだよねー。
浄化とか吹っ切れるレベルです。
無理に剥がすとかそぎ落とすではなくて、
永久凍土が陽(火)にあたって溶けきった。
そんな感じだったよ。
あとは 情け 存在承認の関わりのみ
メンタルヘルスのセミナーをやっている時、
ハラスメントなど
「許せん!」「恨む」って発表もあった。
その時にも自分でいってたけど、
そうやって自分たちの生きる原動力にするには、
もったいないし、自分のためにもならない。
あなたたちは、
本当に強い素敵な人たちだから、
「『情け』をかけられる人になりなさい」
(武道をやる人たちだから わかるよね)
そのための行動は、
存在承認
(いてくれるだけで、ありがたい)
・挨拶
・ねぎらう
・笑顔
・話をきく
・話をする
・スキンシップ
・名前を呼ぶ
・ほめる
があるけれども、
最低限、口をきくのは嫌でも、
挨拶と笑顔を向けることだけは
「情け」でできるよねって。
無視されるのが一番堪えるでしょって。
自業自得というよりも、
皆様の品格や人間性が問われる。
その時に
「情けは人のためならず」
「あなた達は応援される人だし
リーダーになる人たちだから、頭の片隅に置いといてね」
今すぐできなくていいから、
こっちの生き方をできるようになると、
それだけで周りの人が助かるからね。
役に立つからね・
といってました。
それを自分も実践するのだと(*^_^*)。
家族こそ身近だから、やっぱり自分がいたらないと、
思ってしまいがちなんですけれども。
十分待ったと思うし、
やりきった感があるから、
もう時間切れじゃないかなと思うのです。
逃げずにすんでるし、
後はもう本当に父次第の所まで来てる。
私のすべきことはないと思えます。
母にしても、
思いやりや気遣っているのは伝わっていて
感謝の気持ちや本音を言われるなどはあるの。
でも、父との心情やわだかまりは、
母が解決していかないとどうにもならない部分で。
私は実際感じている母のストレスや不安を
聞いたり、助言をすることはできても
最後の最後は母がどうしたいか、どう思うかのみだからね。
そこまで、笑い飛ばした後に
出てきたことでした。
私も50代前半で、この年代の方々は、
親の介護だったりも課題になってくると思うのだけれど、
きっとこのブログを読んでくださる方は、
真面目で正直で誠実で優しくて、
だからこそ、
自分を至らないと思ったり
我慢したり責めちゃうことも
多いのではないかと思うので、
ぶっちゃけ話として率直に書いてみたよ。
(腹を割るというのかな)
追伸:
分析や考察ができるということは、
素晴らしい才能で批判的ということではないのよね。
そういう風に考えられるようになったよ(*^_^*)