ライアーお借りして濃密な1ヶ月のこと
自分の屋久杉ライアーをオーダーするために、
ハートソングという名のライアーを
1月お借りしていたんです。
今日お返しする手続きをしたのですよ。
14時から16時に集荷予約をして、
12時くらいまではひいていられるなって思って、
最後のふれあいをしてました。
不思議なことに、
いろんな連絡待ちがあるにも関わらず、
朝から梱包が終わってご飯食べ終わるまで、
電話なりませんでした。
本題はそこではなく、
この1ヶ月本当に濃密で、
ライアーと畑と家のこと、
自分を満たすこと
時々 実家
短期の仕事探し
以外にやっていることは
なかったのですよね。
つまり、どっぷりライアーに浸かれていた。
なんだかんだいって、出かけても
1日調弦と1時間くらいは
少なくても一緒にいられて。
この1ヶ月を振り返ると、
つくづく幸せ。
昨日、音を元に戻しているときに、
あふれ出てくる物というか
こみ上げてくるものがあった。
涙だけではなくて、
(哀しい涙ではない)
愛 感謝 よろこび など。
それなりにライアーは大きいので、
(音は大きくないですよ)
私がひいているときは旦那は自室にいるし、
早く帰ってきたら、
「そのままやってていいよ」と
大体は言ってくれるし。
音を変えるということは、
それだけ安定しずらくなってしまうので、
ライアーを貸してくださることも大きなお心がないと
なかなか出せないなあと思うのです。
自分も1台しか持ってなかったら、
お貸しできないわけだけれど。
さらに、自分のほしい音を決めるのに、
音を変えますというのを
「やらせてくださる」この器。
本当にありがたかった。
音を戻したら、ちょっとせつなめで、
小さいときに従兄弟が帰っていく時の
別れ際の寂しさが蘇ってきたの。
小さいときは、今以上に
自分を外に出せず、
わかってもらえる感というか、
話を聞いてもらえたり、
一緒に何かをしてくれて気を遣ったり
遠慮したり顔色うかがわなくてもいいのは
3個上のいとこだけだったんだ。
といっても、そのいとこは同性で
お人形さんみたいにきれいだったし、
頭もよくて明るくて私からみても、
女の子らしくて人にかわいがられる人だった。
小さいときから、
私は人を見る目は確かだった(*^_^*)
(いとこは無邪気で天真爛漫)
家に居場所がなかったし、
変わり者だった私でも
その従兄弟がいるときは楽しかったから、
帰るときは本当につらかったのよ。
なんかそれを思い出したのだけれど、
終わりがあるとか
限りがあるからこそ、
目の前にある時やもの、人と
精一杯 楽しむとか話すとか
その時を味わうとかするんだと改めて感じたの。
それで、愛とか感謝とか歓びが
感極まったんだと。
あとね、生きてることの実感かな。
私の左手、
交通事故でさらにダメージを受けて、
指が曲がっていたり感覚が乏しかったりするの。
ライアーをひくときに、
指のはらに肉がなかったり、
弦をしっかりとらえられなかったりするけれど、
左手も使っていくのですよね。
すかっていったり
弦をビーンとはじいてしまったり
爪があたったりするけれど、
それでも音がなるし、
板に音は響いている。
1音1音大事にするということが
すんごくよくわかったのもこの数日。
最後だと思うと、
(そのお借りしているライアーちゃんとの時は)
一層大事と思えたのよ。
あと時を忘れて奏でるわね。
いつでもあると思えば、そうはならず。
あえてもう一度書くけれど、
限られている。
終わりがある。
だからこそ、丁寧に
一期一会というこの時を
今を大事にしようと真に理解できたわけで。
肚落ちって大事ですね。
頭でわかってるけれど、
「今を生きる」
「今を大切に」ってなかなかできんのです。
例えば、
仕事が見つからないとか
お父さんの反応がとか思っちゃうけど、
本当に集中して夢中になっているときは、
そんなことに気にならないし、
ある意味電話もLINEも家族が帰ってくるとか
人が来るとかそういうことも全くなく。
静かだったんですよ。
そういうことも含めて気づけて、
ありがたい1ヶ月だったのでした。
終わりがある
限りあることを知っている人は、
愛と感謝を知るものであり、
幸せものである。
そんなことを実感した数日でした。
時を共にしてくれてありがとう。
生きていてくれてありがとう♡
幸恵
屋久杉ライアーさん。
あまりにも私が夢を語るから(笑)
お披露目や制作過程を楽しみにしてくださっている方が増えております!
そんなお声も私の勇気と元気になってます。
一緒に喜びをわかちあえる
本物たちに喜んで仕事をしていただける何かを
思いつき実現してつながったら嬉しいなあ。
私も欲しくて、
皆で喜べる物で分かち合いができるグッズやお品を
誰にどんな風に何を作っていただこうかと
思案するのも今の楽しみの1つです。