こんにちは。
どこかのタイトルと似ているけれど、
これ真実じゃないかと思います。
実は、今日思いっきり
笑ってしまったことがあって
(笑えてしまったというか)
少し時間を置いたら、
これって ユーモア
と思えたのですよ(*^_^*)
すごく身構えていたと思うし、
私過去恋愛関係ではなくて、
男性関係で手痛い失敗していて。
(モラハラとか
仕事やお金のことは父性ですよ…
そう言われても、
わかってますよというか、
謙虚に見ても浅いって感じることが
多いこともある。
まあその細かいことは置いといて、
苦手意識もあるのと構えてしまう。
ただ今までと自分と違うのは、
こういう戸惑いとか怖い感情が
「あるということを出す」
ぶつけるのではなくて、伝えようとする。
正直でとリ繕わず
だけど
わかってください ではなくなった。
そんな変化を書きながら、
今 感じてます。
それでね、
途中は全部はしょるけれど、
こういう風に書いてあったの。
あなたの美しい笑顔と長い顔が 以下略
ねっ!?
どうです。
私ね 「笑顔が素敵」と
言われたことはあるけれど
長い顔って言われたことはないの。
ちょっと考えると、
長い顔というのは、今の風潮
小顔とか○等身
美人
(バランスよい 足長い
スタイルよい)と
相反する感じじゃない!?
最初見たときに 一瞬
「んっ?」これは…と
褒められてるのかけなされてるのか
みたいな心持ちになって、
ここは今までの延長みたいな、
外側の評価に立った感情かな。
それと同時に、
長い顔ってと笑えてきて。
首が長いとはよく言われたけれど。
まあ、モデルさんどころか、
身体のバランスはあまりよくはないです。
背の割に足が小さいとか、
あるけれどもどこに基準を置くのかでも、
美しさは変わるわけなので。
で、私のように50代に入ると、
顔だけではなくて身体全体も
私を表すようになるのですよね。
私が一瞬「うっ!長い顔」って思ったのは、
間延びした顔
しまりがない顔
(無責任な顔?」ってありたくない方を
出ているのかなって瞬時に
思ったからだったみたい。
価値や文化によって
美しさなどの基準が違うわけで、
時代と共に一般的な概念というか
移ろっていくわけです。
その移ろいによって、
変動していく物は、
年をとったりすれば、
新しい物にとって変わられる。
そうでない不変の美しさというのかな。
それは年を重ねるとか
姿を変えないということではなくて、
表面的な物が変わらないものではなくて、
内面とか熟成とかのイメージなんだけど、
そういう美しさに想いを至らせてくれたのと、
次に続く動詞(恋しい)を
あまりにも重く相手に受け取らせない
思いやりとユーモアなんだなあと
感じた出来事でした。
(恋しいは、
郷愁を感じる時も使うけれど、
一般的な方を頭に思い浮かべたから)
そういう意味で、
ユーモアは地球を救うと書いたけれど、
自分を大切に
愛せる人は人や地球を助けることができる。
私はどちらかというと、
地球を人を助けたいと思っていたけれど、
自分がどうしてもおろそかになって、
(優しいという言葉も表裏一体)
優しいを使われて自分が
ボロボロになることも多かった。
でもそれだと、自分は幸せでないから
不平不満がたまってそういう自分を
また嫌うの悪循環だったけれど。
少しずつ、受け取ること
打算や損得などを考えずに、
出したこと出てきたことを受け取ることも
できるようになってきたかなって思うの。
ユーモアって、
おもしろくしてやろうとか
狙ってできるものでもないかもだけど、
笑えるところを探す
遊びの心 余地を残す
そんな意識があると、
出てくる物ではないかなあと
改めて感じた次第です。
心と身体と魂はつながっている。
ユーモアは魂をも解放する。
私はそう思ってます。
ユーモアと共に、
涼しげに感じる水辺の風景をどうぞ。

時を共にしてくれてありがとう
生きていてくれてありがとう♡
幸恵