外は雨。
白糸の滝が国内横断しているような雨。
そんな中本に入っているCD。
辻真理子さんの声を初めて聞いた。
「22を超えてゆけ」についていた。
4年前に本を手にしてから
なぜか一度も聞いておらず、
差し迫ったというか
覚悟が必要なところで
後押しされた感じ。
本当に暖かくて、
だけど透明感があるというか
素に還すというのかな。
懐かしいような。
いつまでも聞いていたい。
そういう声だった。
今年に入ってから、
ボイトレに通っている。
最初は屋久杉ライアー制作のために
自分の中になっている音を外に
出すためにと思っていた。
先生は霊視も出来る方だと、
たまたまある場でお話をする機会があり、
受けてみたいと思ったのが最初。
やっていくうちに、
自分が歌を通して出していく内に、
全部出てくるから、
出来ること 出来ないこと
やってきたこととか
本当に全部声や表現や身体に出る。
自分ではやってるつもりでも、
全くできないし、
「なんで出来ないのか」と言われてもとか。
その中で、やはり
声は楽器であり、自分を表す物であり、
全部を物語るものであると改めて感じていたところ。
あまりに今生も、
いろいろ本質から遠ざかる所を
通る選択をしてきたようで(苦笑)、
また覚悟も中途半端だったようで、
厳しい喝も魂から発せられ、
でも改めて自分の本音と向き合ったり、
今まで押し込めてきたこととか、
自分を納得させてきたこととか、
表面に浮いてきたことがあったのよ。
なぜ屋久杉ライアーなのか
また、ライアーは向いてない
やめてしまったらとも言われて、
そうじゃないのだと。
自分の本心を言って、
「自分にないものをライアーに
代わりにやってもらおうとしている」と感じる。
その言葉を受けたときに、
「あー。それを自分がしてきた」と、
思ったのですね。
頭では、ライアーと私は
「一心(魂)同体」と思っていたけれど。
木は呼吸をしているし、
ライアーは生きていて子供と同じ。
先生の言葉の中に、
ライアーは形を持って生まれてきたときに、
あなたに責任が生じていると。
人の子供だと責任はないけれど、
自分の子供だったら育てる責任がある。
わかっているかと。
そう子供を持つ選択を
私は拒否してるんですよね。
自分の人生では。
正直、わが実家は幼少期から
居心地のよい場ではなく、
自分が結婚したことも、
信じられない出来事だから(笑)
つまり、結婚や子育てに
夢や希望を持つにはほど遠い環境だった。
だから、余計に自分が子供を産んで育てる。
そんなことは出来ないと思った。
今でも、その選択や自分の使命には
子育ては入ってないと思っている。
それでも、自分の専門が
発達心理学だったりするから、
人と関わる上で子供の時代が大切で、
どんなに小さくても1人の人間だし生命を
生きているのだと日々の積み重ねなのだと
尊いのだということを充分知らしめられる
体験や選択に導かれたものと感じている。
(運ばれてる感じ)
だから、屋久杉ライアーも
ふさわしい物になるためには、
何かが足りないわけではなくて、
覚悟はちょっぴり足りなかったかも
だけど、あとはバイアスがかかった時に
(緊張やストレス 思考 今までの習慣)
本来の自分が出ない。
出来ない自分が出ちゃうとか、
否定されるのが怖いから、
ほどほどにで、そこで終わっちゃう。
(出し惜しみというのはこれか)
だったら、全部出してみて、
そこから調整するのはいいから、
やはりDCAPなんだよねと。
声ってその人を表す。
私は自分が女だからもあるけれど、
男性で声が素敵な人には、
「声素敵ですねっ!」と直伝えする。
それ位声フェチというか耳に自信がある。
その一方 女性で素敵って思えることは
なぜかあまりないのだけれど、
つい先日均整院(心身のメンテナンス)に
行った時に前の方がすごく素敵な声だった。
それを先生にお伝えしたところ、
前の方は40年くらいヨガをされている方で、
「身体の使い方や生き方も声を出すことに、
あなたのライアーと関わることにも
関連があるんでしょうね。」と
お伝えくださったことを思い出しました。
声と言葉。
言葉以上に声が物を言う。
声で魅了するというのかな。
それとライアーも同じだと思っていて、
音そのものが声と同じで、
どんな姿形をしているかとか、
大きさではなくて。
どんな音階かでもなくて。
弾き手と呼応するというか。
本質が引き出されて音になるというか。
私も千葉幸恵(さちえ)本来の、
声を出して取り戻して、それが表現できる身体に
していきますね。
期待をかけるのではなくて、
私の出来ないことを補ってくれる道具では
ないのだから。
あと、もう一つレッスン終わって
気がついたことがあったのは、
「できるまでやりなさい」呪い(笑)
呪いっていうなだけど、
けっこう怖いことだよなって。
だって、
何が悪くて
どうしたらできるようになるのか
私にあったやり方を伝えずに、
何度もやり直させてもできないわね。
疲れちゃうだけだし、
出来ない自分を責めるだけだし、
挫折感を味わうだけだ。
習い事というのは、
こういうのがその人に合わせて、
伝えられたり教えられるのが手習いというか
本物 真骨頂だよなぁ。を実感。
私はメンタルヘルスにおいてはそれができると
思っているけれど、
ライアーと自分でもそれを阿吽の呼吸でできるように
そのふさわしい物に戻る。
還る。そして表現する覚悟。
表明でもありました。
今日は夏至でしたね。
戦友がいるのだと。
一人ではないのだと。
魂仲間がいるのだと今生は大丈夫だと、
確信を感じた出来事でした。
レッスンの中で、
3年前に引っ張られると言われ、
ワクチンを巡り家族も友も、
言ってることとやってることが違う。
虚しいとわけわからず啼き、
孤独感を強めたことを思い出しました。
魂が慟哭したから、逆に
消し去りにいっていて、
相当ひっかかっていたことだったよう。
宇宙図書館で、個人の本を手にしたときに、
魂仲間から「おかえり」と迎えられた時に
目に浮かぶ風景や香りに、
とても懐かしい物があるから、
それはやはりヒントになっていて、
屋久杉にふさわしいものであること。
そうあれるということを、
妄想やしがみつきではなく、
威張ったり賞賛を得るための物ではなく、
地球や宇宙や自分を通して還元できる愛だと
感じられるからですね。
今日はこんなところで。
時を共にしてくれてありがとう。
生きてくれていてありがとう♡
幸恵(さちえ)