友と10数年ぶりに再会した。
干支は一回りしていたけれど、
テニスを通じて2年間ガチに時を生きた仲間は、
けっこうな月日を超えても時間が近づくというか、
お互いが変化し成長していてとっても楽しい
濃ゆい時間があってない時間をも飛び越えた感じだった。
もうあの頃のようには動けない
そりゃ、そうだ。
友と私がテニスコートを走り回ってたのは、
10代後半だ(*^_^*)。
それを今は50代だけど、同じように動こうと思ったら、
それはプロとして三浦和さん(サッカー)並みの
毎日トレーニングして練習してを続けてない限り無理でしょう。
そうしていたって、やはり20代前半の若手と
まったく同じ体力とはいえないよね。
だけど、培われてきた経験とか
勝負どころの勘とか皆の精神的な鼓舞や存在。
一緒に練習したりいることによって与えられる
伝えられる物事ってとても多いよね。
精神的支柱っていうのかな。
そういうことを帰ってきて思った。
友と話しているときは、
すぐに出てきた例が
上皇様と上皇后様のことだったの。
お二人とも80才くらいまでは
コートに出られてテニスを楽しまれたと
ニュースになってた気がする。
つまり、若い頃と同じように動けなくても
その年、人に応じた楽しみ方で、
(身体の動きとか握力とかボールスピード)
テニスを楽しんだらよいと思う。
何においてもそうだよねって感じた。
昨年からいろいろと、
自身や家族のことでいろいろあるのだけれど、
やれ年だ、
あなたは若いから、
コロナだ、
お金がかかる
時間がない
いろいろ
「できない」
「やらない」理由が出てくるんだけど、
「あーいえば こういう」並に出てくる(笑)
そのうち、それもゲームみたいになってきて、
真面目にやってることが笑えるなって今思えて。
そうなるとそこに時間をかけなくなってくるから、
相手を心底思う、親だからとか身内だからとか
そういうものが失くなっていくの。
利他主義というけれども、
自分がすり減って相手のことばかり考えても、
そこにおぶさられているというか我慢と犠牲に
なりがちだったのだけれども、
もういいやっていう、
本当にやれるところまでやった。
最善を尽くした感があると思えたのよ。
そんなことから、
友も自分も言ったけれども、
自分で限界を決めるのはもったいないよね
いくつになっても夢中になるもの
楽しめることがあるとよいよね
そういう結論になったのでした。
10代後半夢中になって、
私は交通事故以来、もう20年
ラケットを握ってないし
たぶんラケットを握ることはないと思う。
だけど、
テニスの試合を見るのは楽しいし、
夢中になったり真剣に楽しんだ経験や
紡いできたものとかは決してなくならないからね。
どこかにつながっているし、
精神的な礎というか支えになってるなって思った。
だから、それはいくつになっても、
どんな状況になっても、
見いだすことは出来る物だと思うのよ。
つまりないものを探す
失った物を嘆く、
追い求めるよりは、
あることの中から見つけることっていうか
探すことっていうか。
例えば毎日お花を飾りたいとする。
きれいなお花を毎日買うのは厳しいけれど、
ヒメジオンやタンポポ、レンゲソウなど
野に咲く花を分けて貰う。
そういうこともできるじゃない?
だから自分次第の所もあるよねって。
ことなんだ。
今日はこんな感じです。
雨で湿気が多いのと気温が下がっていて身体が冷え気味。
今は寒暖差も激しく、体調を崩す人も多いと思う。
無理せずご自愛していきましょうね。
読んでくれてありがとう。
いてくれてありがとう♡
幸恵