おばとの会話から思い出したこと
昨晩おばから電話があった。
高齢のお友達が体調崩し、
いろいろ思うところがあり不安になったとのこと。
私は50代前半なので、
親類縁者の最高齢は90代。
親も80代。
最若は従兄弟の子供で小学生。
そんな状況である。
つまり高齢者が親族にたくさんいる。
それと共に私はどうも
「死」に関することにお役目があるようで、
自分も3度死にかけている。
簡単にいうと、
プロフィール読んでですが、
中2で自殺未遂
32歳で交通事故
47歳で呼吸停止
↓
(命の天秤がフラットになって、
大丈夫という声と共に意識が戻る)
20代でいとこが半年で急逝。
死によって残された家族が、
いろんなことを感じいろんな出来事があったのも
年の割に見たり実体験の数が多いんですよね。
(私の仕事は証券会社の営業
障害者支援、ホームヘルパー
カウンセラー、講師など
いろいろやっていたのです。
経験職種は多いですよ 笑)
そのいずれもが、表面や入り口はともかく
人の生活、生き死に関わることも多くてですね。
必然と人の生き方、あり方とどっぷり向き合う。
なぜならば、お金や健康と直面する場所に
人の本質はリアルに出るから。
それはさておき、
おじが13年前になくなった時のことを
夜から朝方にかけて
なんか全然親族とは関係ない夢だったのに
思い出したんですよ。
おばと話している時に
「日々、後悔がないように生きるしかないのでは」と
私は言ったのですけれど。
ちなみにおじは、末弟なので、
おばから言えば若い弟が先に逝った。
そして、今上の兄たちが半分調子を崩している。
父とおばは12歳。
お友達と父も年齢が変わらず、
お世話になった方も直近亡くなられて心細い。
どうしても、年齢的に「死」は避けられないし、
誰にでもいつかは来るものである。
(私は死生観というかやはり、若い時から
そういう体験も多かったし、
なにせ自分が30代の時の事故が元で、
外見は30代なのに身体や精神や実際に出来ることは
寝たきりと変わらない。
灰色の天井と床しかない世界から、
歩いて外に出て社会や人と関われるようになった。
極めてレアケースな人だけに、
年をとるのは怖くないし、
死ぬことは怖くなかったのね。
(それより書いてて笑えたのは、
嫌われたり人から必要とされない方が
怖かったのよ 自分の無価値感
存在意義を見いだせない)
一般的ではないかもしれない(笑)
いずれにしても、
おばがどう思うのか
どうしたいのかしかないから、
話を聞きつつ丁寧に向きあっていこうと改めて思った。
(もう年だから、希望になることはないし、
若い幸恵ちゃんにはわからないかもしれないと
言われて、そう思っているときは
やはり私が何をいってもの所はあるから)
これはまた別のエピソードがあるので、
また別の機会に話します。
おじが亡くなった時の状況
おじが亡くなった時のことを
思い出したかというと夢の中の最後が
「もうこれで思い残すことがないんだね」といって、
最後抱きしめたのですよね。(夢で)
それで魂は光って還っていった。
登場人物は全く知らない人ばかりだった。
おじが亡くなった時、
夜に交通事故にあってました。
夜に呼ばれて父が病院に行った。
8時半くらいに母から連絡があった。
ちなみに父は携帯は持っていない。
当時は新聞集金の仕事をしていて、
まだ残りがあるからと始発で帰ってきた。
その時には
「命に別状がない」からということで。
母から電話があった時に
母曰く、「お父さんが何も言わないから」と
いうのだけれども、私が話を聞いていて思ったのは
「なんで私に電話してきたのかな?」だったんですね。
おじが事故にあった。
命に別状はなさそうだ。
お父さんは、お母さんに
「お見舞いに行ってほしい」とか
「事故の状況はこうだった」と
細かいことはいつもの通りに
何も話さないということはわかった。
「何を迷ってるのか」と問うても
なんか時間がないような気がしてたから、
私は病院に今から行こうと思うけれど、
「お母さんはどうするの?」ときいた。
(まだその時は、2~3時間動いたら
3~4日寝込むような時だった)
それでも「お父さんが…」とか言ってるから、
「お母さんはどうしたいの?」
「バスの時間があるから早く準備しないと」とだけいい待った。
そうしたら行くというので、
電車内で待ち合わせして病院にかけつけた。
そしたら、
着いた時におじは息をひきとっていた。
10時半か11時くらいだったかな。
後できいたら、どこかの出血を見逃していて、
臓器が壊死ししたらしい。
安置室に移されたおじと対面した。
その時に母が
「子供達をかわいがってくれてありがとう」と
声をかけていた。
今思うと、
おじは父がそばにいる時ではなく、
私と母が出たのを確認して逝ったように思う。
魂が望んだようになっている
昨年おじの13回忌を迎えたとき、
おばがいった。
お墓にいたのは、
おじの友達とおばだったと。
あの時も(亡くなった時)
兄ちゃん(父)はいなくて母と幸恵ちゃんがいてくれたんだと。
そこにつきる気がするの。
私も年に2~3回はお墓参りに行くのだけれど、
各命日には行ったのことがないのです。
(行ってることはおばにはいってないし)
おじが亡くなったから、おばにはおじの友達や
親しかった方と新たなお付き合いが生まれた。
それは60を超えてからの出来事であり、
今後もそういうことは起きると思う。
血はつながってないけれども、
家族と思える人と生きていく。
心のつながりというか魂のつながり。
父とおじは魂のつながりが強くて、
父は70超えてたから信用取引はもう出来なくて
おじの名前でお金を入れて2人でやってたみたいなの。
でもそれは母に内緒になっていて、
(父は投資の失敗いっぱいしてる)
おばがおじにそのことをいってやめた経緯がある。
数年前に私は初めて聞いたけれども、
それで株の運用ができなくなったら、
パタリとおじにあいに行かなくなった。
だから、おばは自殺だったんじゃないかと思っているし、
「にいちゃんのせいだ」ともいった。
私にはどうしようもないけれど、
おじは我が家のことを守ってくれたと思った。
あのまま進んでたら、我が家は住む家もなくなってた。
私はそれを父母に言うわけではなくて、
自分の胸に納めているのだけれども、
一族のリーダーだからねと思い至る1つの理由でもある。
星を見ると一族のリーダーが持っている星を
おじと私が持っていた。
おばと私も魂のつながりが強い。
たぶん今年はいろんな意味でお別れと
お見送りがいろいろあるのだと思う。
だけど、やっぱり
それぞれの魂が本当に望んだように
なっていると思うんだよね。
年のせいで先が見えない
希望が見いだせないように思うかもしれないけれど
本当はそうじゃないと感じている。
ある意味ちゃんと癒やせる人
フォローできる事物を知っていると思う。
私もおばも母もいったおじも。
父を見ていると
(昨年からよく観察している)
「お父さんはどうしたいの」といっても
「二宮金次郎が…」
(薪を背負った銅像の人
二宮尊徳のことですよ)
数回繰り返し都合が悪いと聞こえないふりか、
「イテテッ」となって自分の気持ちを言わない。
それでもっていきなり人の予定も聞かずに
集めてこうしてほしいだの要求を出す。
前はそれに応えたりなんとか歩み寄ろうとしてきたけれど、
もうそれに振り回されるのも嫌だと思った。
父は子供で人を試すようなこと
自分の思い通りにするけれど自分の力だけではできなくて、
いつも人のお金や力を得てやるのに
全部自分がやったと思っていて、
口だけ感謝しているという。
人が離れるだけだよと思う。
実際に
「人に迷惑をかけたくない」というので、
○○は迷惑だといったら、
「じゃあ、あんたがそういうなら仕方がない」
けど、自分は絶対変えない
↓
迷惑かかってるっていってるのに、
あんたがそう思うのは勝手だから、
仕方がないってどういうこと?(笑)
論理破綻してるし、
かわいげがないなあって娘でも思う。
父の課題と私の課題は違うからそこは仕方ないとして。
私も母もおじもおばも父も。
魂に従って生きているんだと思う。
それが上手か下手か忘れているかいろいろだけど。
いずれにしても、現代は
自分の本音や魂が何をいってるのか
どうしたいのかを忘れちゃったり聞くのが下手に
私を含めてなっている人が多いからこそ、
いいたい。
「自分がどうしたいのか」に尽きると。
あなたはどうしたいですか?