こんにちは。
昨日、久々に東京駅近くの
さくら通りを行きにチラリと目にした。
実は、通り一本間違えたかなと
巡回バスに乗るときに思ったのだけど、
帰りに歩いて間違いでなかったこと確認。
ん?と思ったのは、
横断歩道を渡ったらすぐに、
さくらの木が迎えてくれる通りだったのに、
桜の木はビル1個分くらいも全く見えなかったから。
東京駅八重洲北口から高島屋本館までの
100メートル位かなさくら通りがある。
1車線ずつの道路両脇に桜の木が植わっていた。
私が20~26歳まで務めていた時も
少なくともうち旦那のウェスト位は
あったから樹齢60年は経ってたと思う。
それが両脇とも大区画両脇2区分
跡形もなく抜かれていた。
おそらく20本はなくなっている。
残っている木もけっこう枝は打ち払ってあって、
心なしか花の色が白いんだよね。
そのうち、さくらどおりの名前も
変わるのかなあなんてチラリと
頭をよぎるくらい風景が変わった。
無機質になってるのね。
そして人の中の心象風景も
土や桜を見て和む気持ちや
春の喜びを盗んでいる。
どんどん無機質
東京砂漠というよりは(物質的にも)
人の魂と元気を奪う試みに思う。
もったいないなあ。
50~60年かけて少しずつ育んだ物も
100年以上の物も残すのは難しいけど、
撤去削除排除は一瞬だもんね。
桜の木だけではなくて、
いろんなことがスマート化
○○計画の名目で、
地球やいろんなものの生命に
過酷になってるような気がするけれど。
コンクリートジャングルの中、
ストレスが多い場所で、
緑や花や水って大事で、
しかも時をかけた物は、再生に
それ以上の時間がかかるもの。
生命のつながりとか、
健やかさとか
時をかけることの意味などを
問われてる感じがしたさくら通り。
Lサイズプランター2個くらいの花壇では
代替えが効かない位の
大なたを振るっちゃったんだなって
ちょっぴり思ったよ。
心象風景が砂漠化して殺伐とする。
人々の健康を奪う方法なのかもね。
あまりの殺風景に胸がつまったもの。
いずれにしても、呼吸は大事だから、
深呼吸をしたけれども、
満開になっても皆が足を止めて
顔が自然にほころんでしまうあの光景が
失われてしまったのがすごく寂しかった。
憩える場所
安らげる場所を大切にしたいと
改めて思った東京でした。
幸恵