こんばんは。
なんかまた台風が上陸しそうで、
いろいろ対策も考えることも多いかもだけど。
準備しつつ不安や恐れすぎずに、
生きていこうね。
さて、
すんごい長い旅路だったことを
今日はお話するね。
昨日は父86歳の誕生日。
昨年誕生日の1週間後、
腰の圧迫骨折でいろいろあって、
正直言ってもう、
「この すっとこどっこい!」みたいなものが
多々あってですね。
今思えば、父への期待とか
親だからこうしてほしいとか
父性の獲得できなかった…。
だから、こうしてほしい
こうあってほしいが色濃かったかと。
だけど、旦那が休みを取ってくれて
私も仕事だったし母も午前中通院だったこともあり、
通常は昼に私だけが行くんだけれども、
旦那が来てくれたことで父にも変化があった。
私だとひゃらないことをやった。
おもしろいなあと思って。
お弁当は私が手配したのを
旦那が取りに行ってくれたのだけれど、
ゼリーとケーキを買ってくれて。
1種5個買ってくれて、
私もやるんだけど、
「今日はお父さんお母さんあなたの順で
好きな物選ぶんですよ!」と名言。
父母それぞれの個性が出た選択になったのね。
おもしろかったなあ。
父は食べ始めて
マスカットに梨もあしらわれているのに気づき
「これはなしだ!」と発見して嬉しそうにいってた。
それと共に、
デイでゼリーが出る状況を説明してくれたりしたんですよね。
普段口も重いし、私が行くとそそくさと
席を立って行くから昨日はとても
父も気を遣ってくれたのだと思ったし。
今までは、親としての期待
お金の事など悔いなきようにしてほしいと
思っていたけれど、
父母と旦那と私のたわいない会話で、
今まで言えなかったこと
感じられなかったことがあったんですよ。
ただ、生きてるだけでいいと、
85の誕生日から1週間後に
腰椎圧迫骨折になり生活が一変。
そんな父と支える母をサポートと思いつつ
やはり皮って欲しいという所も正直あり。
だけど、昨日は一緒に食事をしていて、
あーこうして高校野球や
プロ野球の話やデイの話でも、
しながら生きている姿を見たり、
するだけでもいいんだなって思えてですね。
叔母のお祝いの電話や、
私たちが行ったことによって、
旦那が行ってくれたのはお正月以来。
母の
「こんなにたくさんの人にお祝いしてもらって
ありがたいね」の言葉に、納得で。
いてくれることに
共に時間を過ごせたことに
生きられたことにありがたいと
私もしみじみ感じたいので。
自分を変える以外に方法はないと。
頭ではわかっていたけれど、
父に変わって欲しい
親への期待を持ってたなあと思うけど。
もう2ヶ月前から、本当に挨拶しかしてなかったんだけど。
昨日はもうそれすら思わず、自然にいたなあって。
それも旦那がいてくれたおかげで、
男どおしであること、
人をたくさんみて関わっている人であること
私にも何気に寄り添ってくれてたのと
私の実家になかった風を
入れてくれたことによって私が
つまづいていた父とのこと
男性性の壁を越える。
そんなことをしてくれた気がします。
実はこの記事1回あげようとしたら、
下書きが消え、
保存もうまくできず
コピーしていたのにそれも消え、
最初に書いた内容とけっこう
変わったのだけれども、
それは記事をあげることに邪魔が入って
記事にすることをためらわせる結果に
なったのだけれど、こういうときは
出さない方がよいではなくて、
出すことによって誰かのためになってしまう
真実としてあまり伝えて欲しくない。
そういうことにストップがかかって、
本気度を試すとか、
それを書かれることで真実を知るきっかけに
なってしまうこともあるのが支配者達には
ものすごーくおもしろくないこと。
そういう傾向にあるから、
ひるまず書いた。
そういうことなんだな。
父の事が心理的に解決すると
象徴するのは仕事やお金の社会的なことになる。
意図はしてなかったけれど、解決したらいいなと
6~7年の間、コロナが間にあり来て欲しくないと
そんな意思が見える父母に
時間をかけて誕生日、結婚記念日 お正月と
自分がお祝いしたいからとコツコツと続けたこと
自分の気持ちを正直に伝えることをしてきたことが
少しずつ永久凍土 頑なな私や父の
魂のしこりをときほぐしてくれたのかなという出来事。
お話したくなりました。
自分しか変えられない。
人は変えられない。
ものすごい偏ったごりごり家庭で…。
でもそれを選んで生まれてきた。
そんな所にも氷塊と幸せはやってくる。
捉え方次第でもある。
自分であること。
ありのままであること。
それがよいのだと気付いた出来事。
そして感謝。
そんなお話でした。
幸恵