こんにちは。
毎日暑いですね。
元気ですか。
明日から新たな仕事が始まるので、
お昼寝できたりするのは今日までの千葉です。
暑さの中うまく折り合いをつけて
(セルフケアしながら)
夏バテしないように10月まで
歩んでいきますね。
さてさて、いつも読んでいるブログに
【しるし】のことが書いてあった。
私が感じることの1つに、
【しるしに共通】していることなんだけど
継続
続いていること
があげられる。
時には、金欠だったり、
体力的なことだったり
スケジュール的なこと
暑さ寒さとかもあったり、
試練というか
続けられないかもしれない事象が
出てくるんだけれども、
細々とでもつながっている。
その途中に起こる
「困ったぞ!」
「もう無理だわ~」と
頭を抱えたくなることが
あるのだけれども、
本当に首の皮1枚位でね、
それでもつながっているのよ。
畑にしても体調管理にしても
仕事にしても。
先日7月頭から8月までの2ヶ月間を
予定されていた仕事は期せずして、
相手の都合で終了になったけれど、
今となっては、
自分が望まれぬ場所
自分が活きない場所
自分に学びや役割がある場所に
継続的に関わることになっているのよね。
私の場合は、けっこう転職が多くて
最長記録は7年なんだけど、一番最初は
過酷な証券会社営業でそれでも6年。
われながらよく頑張れたなあと、
「あっぱれ!!」と
今では思うのだけれども。
この経験がなかったら、
精神保健福祉士にならなかったし、
人と関わるの苦手なままだったし、
血がつながってないけれど、
家族のように思ってくれる人とも
出会えなかったし、過程や試練が必要だったと
つくづく納得してしまうわけよ。
私は方丈記や草枕が好きでね、
継続することと流れることは似ていると
思っていて、同じように見えるけれども
日々変化の中、自分も周りも動いていて、
でもその中で進化しつつそぎ落としつつ
工夫を重ねて生まれ変わってるからこそ、
続くというか維持できる物があるという理解。
で、続くというのは、
自分だけでなく
家族や仲間や周りの環境等が
後押ししてくれるというかかみあってこそであり、
どれが一つ欠けても自分の意思だけでは
どうにもならないのですよね。
1つの例をあげると、
16年前に社会復帰したいと、
人材紹介会社に登録して紹介があったのね。
面接の約束をして9月の連休明けに
行く約束をしていたら、なんと
その2日前に母が脳梗塞で緊急入院になったの。
これは、相手も致し方ないですねとなり、
その時の勤務予定地は東京で毎日通うには…と
いうのもあったのだけれど。
「まずは面接に行ってみて決めて」と
いうのもあったけれど行くべき場所と
その時にやるべきことが違っていたから
始まらなかったというのがある。
あと、その後に私は福祉畑を30代前半から
歩んできていたからやはり家から近い場所で
職を得たけれど、そこでは
「役立たず」といわれて福祉の道から離れた。
(交通事故で左上肢の障害があり、
ただでさえ福祉の現場は1人3~5人前の仕事を
安価なお給料でこなせないと重宝されない世界)
就職先の面談で、
「福祉の世界から離れて弊社に
ご就職していただき長く働いていただく」
「それでよいのですね?」と面接官に
問われるくらい私の履歴書は物語っていた。
その時は私ももう覚悟が決まっていて、
正直に「福祉のお仕事は今はもういいです」と
お伝えしてましたから。
あと、勤務地も本当は、
本社に来て欲しかったみたいだけれど、
ドアツードア30分の場所がありそちらに、
できたらとお話をして通ったので、
自分が長く働ける環境屋自分のことを
理解して選択してそして、途中で
片道1時間半の所に異動になって、
心身を崩して出戻る(勤務地)ことに
なったのだけれども、やる仕事内容は変わっても
続いたのですよね。
その試練があっても、
自分は仕事をしたいのか等
生き方や考え方の覚悟を問われる。
その結果、
主治医に意見書書いていただけたり、
本社の支えがあったりして続けられた。
続けられるときには、
なんらかの応援も入るから。
続くというのは、期間満了までできる。
というのも入るよねって今回のことで
思ったのだよね。
塞翁が馬。
禍福はあざなえる縄のごとし。
後になってみなければわからないけれど、
続くかどうかというのは、
1つの印だと思うの巻でした。
幸恵